ミチノスケのやったるわ!!

ぶつぶつMutter

ミチノスケとやってさんによる独り言を、掲載しているページです。中にはお宝な話がみつかるかも?(あ、あまり期待しないでください!)

伝える

公開日: 作成者:やってさん

 いやはや、いつの間にやら夏の陽気、汗ばむ今日この頃。梅雨の雨に降られたりと散々な目に遭っていませんかな?

 やってさんでございます。

 

 最近は色々と規制が多く、あれもダメ、これもダメと面倒な世の中になってきたと思うのは、俺だけでしょうか?

 物を書いているからか、そういったことに対して人よりも気が向くだけかもしれませんが、ネットに書き込む際は俺もミチノスケも、細心の注意をしているつもりでございます。

 

 この規制というものの多くは誰かの声から始まります。

 気分を害したり、差別的な意味だと受け取られたり、教育に悪いなど、様々な人からの声から、その言葉や映像、画像などを規制していきます。

 つまり、規制とは誰もが楽しめるようにと工夫した結果と言えなくもありません。

 しかし、ここで考え方を変えて、視点を変えてみると、どうなるでしょうか。

 規制したことにより弊害が出てきたりはしないでしょうか?

 また、昔は普通にテレビなどでも使えていたことが、今では規制されていることで、何かしら影響が出ていたりしないでしょうか。

 

 例えばですが、今まで表現できていたことが、規制により表現できなくなっていたり、代わりの演出で表現することにより、本来伝えたかったことが伝わらなかったり、違う意味に受け取られていたりなど、おそらく、弊害はかなり多く出ていると思います。

 然りとて、規制を緩和することで、再び問題が起こることは避けなければなりません。

 

 では、どうすればいいのでしょうか?

 それは、創意工夫と柔軟な発想、そして、そんな手があったのか!と思わせるような隙間を狙った表現をすること以外にありません。

 正直、ハードルが高い!めっちゃ高い!

 

 という事で、「規制」をテーマに書こうと思います、っていつもならなるのですが、今回はもう少し範囲を広く「伝える」という事そのものに焦点を当てたいと思います。

 

 日本は言論の自由が一応保証されています。一応とつけたのは、差別的、攻撃的表現はいくら自由と言えど許されないからです。

 

 まぁ、失言で文字通り消される某国のそれに比べれば、日本はやはり、かなり自由に表現を許されている国です。

 だからこそ、規制という、誰もが楽しめるための枠組みが必要なのかもしれません。

 

 さて、伝えるというテーマで言えば、身近な人への意思疏通も含まれます。

 友人なら小まめな連絡や、相談、コミュニケーションによって親密にも疎遠にもなるでしょう。

 仕事ならば報告、連絡、相談。所謂「ほうれんそう」ですね。

 ひとつ間違えば大きなミスへと繋がりかねないのが仕事ですから、引き継ぎや、情報の共有など、昔よりも今の方がその傾向は強い上に大きいでしょう。

 

 それを踏まえた上で、皆さんは面と向かって話をする時間をどれくらい取っているでしょうか?

 一昔前と比べ、コミュニケーションをとる手段は無数に増え、時と場所を考えなくても、連絡がとれる時代になりました。

 ですが、文字でのコミュニケーションが増えた一方、面と向かっての対人関係への不安がより鮮明に浮かび上がってきているのもまた事実です。

 そして、コミュニケーションの弊害が既に出ているケースもあります。

 怒られ慣れていない若者と、怒りたくてもどう怒っていいか判らない大人たち。最近増えてきたと言われている、体は大人考え方は子供の「子供大人」、それを時代や世代のせいにして我関せずの大人、など、あげればきりがないでしょう。

 これは、現代社会の面々が、他人に対して興味を失っているから、又は、ある意味での恐怖を感じているからなのではないかと俺は考えています。

 所謂自己中とは違い、正に他人に無関心なのです。その結果として相手の事を省みない自己中に見えるという構造なのだと思います。

 もしくは、反応が予想通りにならないため、恐怖を感じ、その経験からコミュニケーション自体に恐怖を感じているのではないでしょうか。

 

 直接人と会って話すことはそれほど難しくはないはずです、挨拶をして世間話でもコミュニケーションですし、ハードル自体は高くないはずなのです。

 しかし、近年の傾向なのかSNSの普及によるものなのかは定かではありませんが、人と話をすること自体を避けて、携帯と会話をする人が増えているのです。

 同じ家にいながらSNSで会話をする、一緒に出掛けている友達同士でも、目の前にいるのにSNSで会話をする。なんというか、口で話す方が早いだろうにと思えます。

 

 伝える、伝えられるというのは、とても大切なことです。

 しかし、全てが伝わるわけではないということも理解していなければなりません。

 そして、その伝わっていないところを、自分の中で補填をして飲み込むことが大事なのかもしれません。

 

 

 さらに言うと、連絡先をデータから消してしまえば縁を切れるという、安易な発想から来る人付き合いの軽薄化というのも問題ですね。

 正直、そんな簡単に人と人との縁は、切るのも繋げるのも簡単にいかないと思いますけどね。

 

 SNSだからこそ起こる匿名性と気軽さ、そこから生じる狂暴性と攻撃性、そして無自覚と無責任。

 正直、された側は恐怖しかありません。

 それこそ命を脅かすほどの恐怖です。

 

 これこそが弊害と言えるでしょう。

 

 自分の一言で、相手がどう感じてしまうのか、受け取り側の事を少しでも考えないといけません。

 言葉は凶器であり、簡単に人が殺せるという自覚と責任を持たないといけません。

 それは一人一人が自分で気付いていくしかないことでもあります。

 

 

 

 さて、いかがだったでしょうか?

 少し?というか、大分脱線しましたが、概ね伝えるという難しさと、世代の違いでの人間関係の変化、コミュニケーションの変容、言葉の恐怖など、様々な問題定義が出来たかなと思います。

 使えるものは使う、でも、使い方によってはこういった問題が発生するということを自覚しなければいけませんね。

 つまりは、何事も自分次第、考え方や伝え方で全ては変わるということです。

 

 本当に無自覚の言葉の凶器ほど、恐ろしいものはありませんからね。

 自分自身も気を付けないといけません。

 

 

2019年6月吉日 やってさん著

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